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楽器は名器なんだけど・・・・
私はトランペットを持っています。
中学生の頃から吹いています。
きっかけは、兄が買ってきた中古のトランペットからでした。
兄はすぐにトランペットに飽きて、私に自由にしていいとくれました。
中学2年生の頃の話です。
ひとりで我流で練習していたのですが、高校入学と同時にブラスバンド部に入部。
そこで本格的にトランペットを吹くようになりました。
高校時代が一番まじめに吹いていたように思います。
マーチからクラシック、ジャズ風にアレンジされて歌謡曲などもレパートリーでした。
最近良くテレビで見る「ドリル」と言う動きながら演奏するマーチィングもやっていました。
指導者に県警音楽隊出身の警察官の方が就任されてからそんなものも取り入れていきました。
楽しかった高校時代もあっと言う間に終わり、社会人になってからは
少し遠のいていましたが、社会人のジャズバンドに入るきっかけがあり、
そこから、またまたトランペットを手にするようになりました。
少し小遣いも使える身分になっていたので、思い切って楽器を買い換えました。
それまではもっとも一般的な、ヤマハだったのですが、
今回はバックと言うドイツのメーカーのものです。
トランペットに限らず管楽器メーカーとしては一流です。
値段も当時の私の給料2ケ月分くらいだったと記憶しています。
最近は、楽器店などを覗いてみると、ずいぶん安くなっているようです。
やはり良い楽器は音が違いますね。
音色はマウスピースと言う唇にあたる部分で違ってはきますが、
音に色気がある、、とでも言うのでしょうか。
色気と品の両方があると言った方が正確かもしれません。
そんな楽器も今は私の部屋の隅っこに眠っています。
時々手入れだけはしているのですが、そろそろお手入れの時期です。
さてと。。。。
中学生の頃から吹いています。
きっかけは、兄が買ってきた中古のトランペットからでした。
兄はすぐにトランペットに飽きて、私に自由にしていいとくれました。
中学2年生の頃の話です。
ひとりで我流で練習していたのですが、高校入学と同時にブラスバンド部に入部。
そこで本格的にトランペットを吹くようになりました。
高校時代が一番まじめに吹いていたように思います。
マーチからクラシック、ジャズ風にアレンジされて歌謡曲などもレパートリーでした。
最近良くテレビで見る「ドリル」と言う動きながら演奏するマーチィングもやっていました。
指導者に県警音楽隊出身の警察官の方が就任されてからそんなものも取り入れていきました。
楽しかった高校時代もあっと言う間に終わり、社会人になってからは
少し遠のいていましたが、社会人のジャズバンドに入るきっかけがあり、
そこから、またまたトランペットを手にするようになりました。
少し小遣いも使える身分になっていたので、思い切って楽器を買い換えました。
それまではもっとも一般的な、ヤマハだったのですが、
今回はバックと言うドイツのメーカーのものです。
トランペットに限らず管楽器メーカーとしては一流です。
値段も当時の私の給料2ケ月分くらいだったと記憶しています。
最近は、楽器店などを覗いてみると、ずいぶん安くなっているようです。
やはり良い楽器は音が違いますね。
音色はマウスピースと言う唇にあたる部分で違ってはきますが、
音に色気がある、、とでも言うのでしょうか。
色気と品の両方があると言った方が正確かもしれません。
そんな楽器も今は私の部屋の隅っこに眠っています。
時々手入れだけはしているのですが、そろそろお手入れの時期です。
さてと。。。。
仮面ライダー、ストロンガー
仮面ライダーストロンガー役で活躍した俳優の荒木しげさんが肺炎で亡くなったそうです。
享年63歳とのこと。
鹿児島県出身の彼はカレッジグループサウンズのフォーセインツというバンドに
ドラマーとして参加し、小さな日記という曲は20万枚を超えるヒットとなりました。
その後役者に転向し色々なドラマや映画に出演をしてきました。
後に政治の世界にも興味を持ち、東京目黒区議選に出馬しました。
この時は残念ながら落選し、落選後に食道がんが見つかって全摘出手術を受けたそうです。
ガンそのものは再発はしなかったようですが、体重が30キロ減るなどして
体力が落ちてしまって肺炎状態となり肺炎が原因で亡くなられたそうです。
一度は危篤状態となって心臓が止まったそうですが、
奥様と娘さんの付きっきりの看病と「パパ、仮面ライダーかっこよかったね」という一言に
荒木さんは呼応するように息を吹き返した瞬間もあったとのことです。
荒木さんはほぼ私たちと同年代で、個人的にはとても親近感も持っていましたが、
最近はテレビでその姿をあまり見かけないなと思っていたものでした。
彼のご冥福を心から祈りたいと思います。
彼のライダー姿を私は忘れません。
享年63歳とのこと。
鹿児島県出身の彼はカレッジグループサウンズのフォーセインツというバンドに
ドラマーとして参加し、小さな日記という曲は20万枚を超えるヒットとなりました。
その後役者に転向し色々なドラマや映画に出演をしてきました。
後に政治の世界にも興味を持ち、東京目黒区議選に出馬しました。
この時は残念ながら落選し、落選後に食道がんが見つかって全摘出手術を受けたそうです。
ガンそのものは再発はしなかったようですが、体重が30キロ減るなどして
体力が落ちてしまって肺炎状態となり肺炎が原因で亡くなられたそうです。
一度は危篤状態となって心臓が止まったそうですが、
奥様と娘さんの付きっきりの看病と「パパ、仮面ライダーかっこよかったね」という一言に
荒木さんは呼応するように息を吹き返した瞬間もあったとのことです。
荒木さんはほぼ私たちと同年代で、個人的にはとても親近感も持っていましたが、
最近はテレビでその姿をあまり見かけないなと思っていたものでした。
彼のご冥福を心から祈りたいと思います。
彼のライダー姿を私は忘れません。
なでしこ残念・・・
残念ながら女子サッカーでのなでしこ優勝はなりませんでしたね。
個人的にはドイツチームのパワーとスピードに圧倒された印象がありました。
それでも、なでしこジャパンの粘りは見事でした。
取られたらすぐに取り返すと言うその試合運びは必ず大舞台で花開くものと思います。
決勝戦の相手のドイツチームは、オリンピック出場権を得ることはできなかったと言うことで
そんなチームが日本を下して優勝をするわけですから、
世界(ヨーロッパ)のレベルは高いんですね。
今大会では、決勝を含む3試合に、なでしこの中心選手である沢穂希が体調不良で欠場。
そんな中、目立ったのはキャプテンとしてこの大会に参加していた宮間選手と川澄選手。
私は、もうひとり鮫島選手の活躍も上げたいと思います。
後半に同点に追いついたあたりでは、これは行けそうだという感じもありましたが、
いつもいつも日本にばかり良い風が吹くわけもありません。
このときはドイツに風が吹いたということなのだと思います。
確かに先に書いたとおり、スピードとパワーではドイツチームが上だったように思います。
なでしこジャパンの持ち味のパスワークも、
ドイツチームのスピードと気迫に圧倒されていたように感じました。
オリンピック出場を逃したドイツチームは、意地を見せたかったのでしょう。
負けたなでしこジャパンは、そんなドイツチームの気持ちを胸にオリンピックに
望んで欲しいものだと思います。
なでしこジャンパンとしては、優勝を意識しつつも、オリンピックを見据えての今大会だった。
そして4月にはアメリカ、ブラジルを迎えて親善試合を行った後、
6月には欧州遠征が待っている。
そのあたりにチームとしてのピークを持って行きたいと監督は考えているのだろう。
個人的にはドイツチームのパワーとスピードに圧倒された印象がありました。
それでも、なでしこジャパンの粘りは見事でした。
取られたらすぐに取り返すと言うその試合運びは必ず大舞台で花開くものと思います。
決勝戦の相手のドイツチームは、オリンピック出場権を得ることはできなかったと言うことで
そんなチームが日本を下して優勝をするわけですから、
世界(ヨーロッパ)のレベルは高いんですね。
今大会では、決勝を含む3試合に、なでしこの中心選手である沢穂希が体調不良で欠場。
そんな中、目立ったのはキャプテンとしてこの大会に参加していた宮間選手と川澄選手。
私は、もうひとり鮫島選手の活躍も上げたいと思います。
後半に同点に追いついたあたりでは、これは行けそうだという感じもありましたが、
いつもいつも日本にばかり良い風が吹くわけもありません。
このときはドイツに風が吹いたということなのだと思います。
確かに先に書いたとおり、スピードとパワーではドイツチームが上だったように思います。
なでしこジャパンの持ち味のパスワークも、
ドイツチームのスピードと気迫に圧倒されていたように感じました。
オリンピック出場を逃したドイツチームは、意地を見せたかったのでしょう。
負けたなでしこジャパンは、そんなドイツチームの気持ちを胸にオリンピックに
望んで欲しいものだと思います。
なでしこジャンパンとしては、優勝を意識しつつも、オリンピックを見据えての今大会だった。
そして4月にはアメリカ、ブラジルを迎えて親善試合を行った後、
6月には欧州遠征が待っている。
そのあたりにチームとしてのピークを持って行きたいと監督は考えているのだろう。
岩登り
先日、長崎市内の岩場「権現岩」というところで、岩登りをしてきました。
その日、初めて岩登りをする「もりもりちゃん」が相棒です。
私が初めてこの権現岩に来たのは、長崎の山岳会に入会してしばらくした頃でした。
まだ、その山岳会にはフラットソールの靴を持っている人は数人しかいなくて、
登山靴での練習が主でした。
毎年、夏山シーズン前になると、槍や穂高、剣へと遠征する人たちは、
ここで岩稜歩きのトレーニングをしていました。
また、沢登りに向けてのトレーニングや冬山のアイゼントレーニングなども、
ここで行なわれていました。
多良山系の経ケ岳南壁や多良岳南壁、雲仙牛首岩、吾妻岳の岩場、野々岳、なども
岩トレの場として、ここ権現岩と同じ頃拓かれたようです。
その後、フリークライミングが長崎でも盛んになってきて、風頭岩や矢岳、豊前坊、
などが開拓されていきました。
経ケ岳南壁や牛首岩などにもフリーのルートが新しく拓かれました。
話は戻って・・・・・
当時の権現岩での訓練は、まずロープワークからです。
そして、三点支持でのクライミング。
次に懸垂下降・・・・・・
これが定番メニューでした。
そして、一部の人たちはアブミなどでの訓練もしていました。
懸垂下降は、肩がらみ懸垂下降が必須でした。
ハーネスなどは装備しない山行時を想定してのものでしたので・・・・
ロープの体への結束は、ブーリン結びでした。
最近は、結びのリングへの負荷時の緩みなどの危険性が指摘されて、
ブーリン結びは使われなくなりつつありますが、片手が離せない状況の時などでは、
空いている片手だけで体に結べるブーリン結びは、
今でも覚えていて損はない結びのひとつだと思います。
キャンプの時などでも使い道の広い結びです。
先日、改めて権現岩を登ってみて、
当時は岩を見上げた時に、圧倒されてすくんでしまっていた自分でしたが、
その日はそれほど苦労もなく登れました。
(私が苦労せずに登れる程度のレベルということです・・・・・)
ある意味、すいすいと登れて感動するかと言うと、そうじゃないみたいです。
昔、トップロープで初めて「Tフェース・三日月岩越え」を登れた時の感動は
今でも思い出すことが出来ます。
今回は、同じところを、ビレイ初体験の「もりもりちゃん」のビレイでリードしましたが、
やはり、昔トップロープで登った時の方が、緊張もしたし、
感動も大きかったように思います。
初めて、黒木の里から経ケ岳を見た時の感動、
前夜長者原で夜を明かし、朝初めてくじゅうの山並みを見た時の感激、
あの頃とすると、もっとすごい山登りをしているはずなのに、
(人から見れば笑われそうなレベルですけど)
もうあんなに心が揺れるような山との出会いはないのなあ・・・・と思うと、
なんだか淋しいような気もします。
その日、初めて岩登りをする「もりもりちゃん」が相棒です。
私が初めてこの権現岩に来たのは、長崎の山岳会に入会してしばらくした頃でした。
まだ、その山岳会にはフラットソールの靴を持っている人は数人しかいなくて、
登山靴での練習が主でした。
毎年、夏山シーズン前になると、槍や穂高、剣へと遠征する人たちは、
ここで岩稜歩きのトレーニングをしていました。
また、沢登りに向けてのトレーニングや冬山のアイゼントレーニングなども、
ここで行なわれていました。
多良山系の経ケ岳南壁や多良岳南壁、雲仙牛首岩、吾妻岳の岩場、野々岳、なども
岩トレの場として、ここ権現岩と同じ頃拓かれたようです。
その後、フリークライミングが長崎でも盛んになってきて、風頭岩や矢岳、豊前坊、
などが開拓されていきました。
経ケ岳南壁や牛首岩などにもフリーのルートが新しく拓かれました。
話は戻って・・・・・
当時の権現岩での訓練は、まずロープワークからです。
そして、三点支持でのクライミング。
次に懸垂下降・・・・・・
これが定番メニューでした。
そして、一部の人たちはアブミなどでの訓練もしていました。
懸垂下降は、肩がらみ懸垂下降が必須でした。
ハーネスなどは装備しない山行時を想定してのものでしたので・・・・
ロープの体への結束は、ブーリン結びでした。
最近は、結びのリングへの負荷時の緩みなどの危険性が指摘されて、
ブーリン結びは使われなくなりつつありますが、片手が離せない状況の時などでは、
空いている片手だけで体に結べるブーリン結びは、
今でも覚えていて損はない結びのひとつだと思います。
キャンプの時などでも使い道の広い結びです。
先日、改めて権現岩を登ってみて、
当時は岩を見上げた時に、圧倒されてすくんでしまっていた自分でしたが、
その日はそれほど苦労もなく登れました。
(私が苦労せずに登れる程度のレベルということです・・・・・)
ある意味、すいすいと登れて感動するかと言うと、そうじゃないみたいです。
昔、トップロープで初めて「Tフェース・三日月岩越え」を登れた時の感動は
今でも思い出すことが出来ます。
今回は、同じところを、ビレイ初体験の「もりもりちゃん」のビレイでリードしましたが、
やはり、昔トップロープで登った時の方が、緊張もしたし、
感動も大きかったように思います。
初めて、黒木の里から経ケ岳を見た時の感動、
前夜長者原で夜を明かし、朝初めてくじゅうの山並みを見た時の感激、
あの頃とすると、もっとすごい山登りをしているはずなのに、
(人から見れば笑われそうなレベルですけど)
もうあんなに心が揺れるような山との出会いはないのなあ・・・・と思うと、
なんだか淋しいような気もします。
耐震強度偽装事件
マンションの耐震強度偽装事件というのを皆さんは覚えていますか?
2005年の11月に発覚したとありますのでもう10年近く前の話になるんですね。
あの時は、ヒューザーというマンション販売会社の小嶋社長という方が
国会に証人喚問されたりして大きな社会的事件として扱われました。
先月そのヒューザーの小嶋元社長に対し、最高裁判所から小嶋元社長から出されていた上告を
棄却する判決が言い渡されたそうです。
この上告棄却で小嶋元社長は懲役3年執行猶予5年の有罪判決が確定したことになります。
当時は震度5強の揺れでマンションが倒壊するとか殺人マンションだなどと報道された
ヒューザーの小嶋元社長は連日マスコミに追い掛け回されていました。
ヒューザーの小嶋元社長が事件の首謀者と目されて、会社上げての組織犯罪だと
マスコミから見たてられましたが、それは大誤報だったという見方が最近あるようです。
あの一連の事件は姉葉氏という建築士の単独犯行だったと言う見方が最近は有力です。
その建築士は当時もマスコミによく登場していました。
マスコミのインタビューには会社からの圧力でコスト的な問題等もあり、
やむを得ずそういう偽装をしてしまったというふうなことを言っていたと記憶しています。
私も当時はテレビ報道を見て姉葉建築士の言う事に半分同情する気持を持って
インタビューを聞いていた事を覚えています。
てっきり会社からコスト的に無理難題を言われて手抜き工事の設計書を作るように
圧力があったんだろうなと彼を同情していました。
でももし現実はそうではなくて、この建築士が単独で強度の偽装の設計書を作ったとすれば
あの当時マスコミから糾弾され社会的に致命的なダメージを受けた小嶋元社長は救われないといえます。
小嶋元社長が無実であるとすれば、当時彼に厳しい社会的な制裁を加えたマスコミは
どのように責任を取るのでしょうか?
当時あれだけ決めつけるような報道をしたマスコミは、
事件の真相を国民の前に明らかにすることを避けて通ってはならないと思います。
2005年の11月に発覚したとありますのでもう10年近く前の話になるんですね。
あの時は、ヒューザーというマンション販売会社の小嶋社長という方が
国会に証人喚問されたりして大きな社会的事件として扱われました。
先月そのヒューザーの小嶋元社長に対し、最高裁判所から小嶋元社長から出されていた上告を
棄却する判決が言い渡されたそうです。
この上告棄却で小嶋元社長は懲役3年執行猶予5年の有罪判決が確定したことになります。
当時は震度5強の揺れでマンションが倒壊するとか殺人マンションだなどと報道された
ヒューザーの小嶋元社長は連日マスコミに追い掛け回されていました。
ヒューザーの小嶋元社長が事件の首謀者と目されて、会社上げての組織犯罪だと
マスコミから見たてられましたが、それは大誤報だったという見方が最近あるようです。
あの一連の事件は姉葉氏という建築士の単独犯行だったと言う見方が最近は有力です。
その建築士は当時もマスコミによく登場していました。
マスコミのインタビューには会社からの圧力でコスト的な問題等もあり、
やむを得ずそういう偽装をしてしまったというふうなことを言っていたと記憶しています。
私も当時はテレビ報道を見て姉葉建築士の言う事に半分同情する気持を持って
インタビューを聞いていた事を覚えています。
てっきり会社からコスト的に無理難題を言われて手抜き工事の設計書を作るように
圧力があったんだろうなと彼を同情していました。
でももし現実はそうではなくて、この建築士が単独で強度の偽装の設計書を作ったとすれば
あの当時マスコミから糾弾され社会的に致命的なダメージを受けた小嶋元社長は救われないといえます。
小嶋元社長が無実であるとすれば、当時彼に厳しい社会的な制裁を加えたマスコミは
どのように責任を取るのでしょうか?
当時あれだけ決めつけるような報道をしたマスコミは、
事件の真相を国民の前に明らかにすることを避けて通ってはならないと思います。



